釣りにいきたいなぁ

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この歳になって、入手しました(^^;)

ブラックバス釣りに憑かれ早30有余年・・・
今年も殆ど現場に行くことも無く暮れてしまう様です・・・重ねる年齢のせいでしょう・・・
という訳ではありませんが80年代の極めてローカルな地域の子どもたちの趣味について綴ってみました。場所は埼玉県東松山周辺のバス釣りについて・・・
・・・・・武蔵丘陵地帯は農業用水としての溜池や河川が多く存在し、そこに生息した少年達にとって「釣り」は間違いなく初めての趣味であり、学びの場であり、社交の場でした。
フナ釣りをしていた少年達は、当時第2次ブーム到来の最中「ブラックバスフィッシング」の魅力に憑かれ、他の釣道具とは異なる、鈍く輝きを放つ道具達への憧れから小遣いは殆どそれらに姿を変えていたものです。
特にリール(ベイトキャストという太鼓型リールです)は自らの個性を主張するアイテムでした。裕福な家庭の子は迷い無く"ABU"を選択しましたが、スウェーデン輸入物はプレミアムで、殆どの少年達は"MADE IN JAPAN"の優秀な機械へと傾倒していました。ダイワ、シマノリョービオリムピック・・・チョイスによって少年ながらの自己主張をしていたのだと思います。
(余談ですが日本のモノ造りは今も昔も最高レベルにありリールのキモとなる精密歯車加工とベアリング加工の技術は当時から秀逸でありました・・・と書いていて、これは今思うこと、当時は其処まで知識も思慮も深くなかったです。「軽く回る」「良く回る」が良し悪しを決める判断基準でした)
小生の場合、エントリーモデルはダイワミリオネア5000。いきなり新品は買えないので友人からのお古でした。スピードスティック#1−16HOBBとの組み合わせは成長途上の少年にはちょっと重く大きかったけど、バックラッシュし難く、入門用として大変良いものだったと思います。当時「釣りキチ三平」が流行っていてサザエの代わりにバケツを狙ってキャスト練習をしてました。
肩にロッドを担ぎ、5段変速スーパーカーライトの黒い自転車に乗って吹上手前や吉見の沼まで遠征していました(今乗り物は車に変わったけど野池ブッシュで格闘しながらの釣りは持続中です。進歩の無い話ですけど当時のままの感覚をずっと引き摺ってるみたいですね。そしてこれからも変わらないでしょう・・・)
夏休みも部活なんてそっちのけで毎日出掛けていって夕方まで釣り三昧、中2の時はそれが原因で夏休み明けに部活をクビになった程でした。勿論そんな事微塵も気にせず以降も毎日バス釣りの事だけを真剣に考えていました。いっそ釣り部でもあれば良かったのにね。
そして釣り場や釣果等日々の情報収集は友達ネットワークだったり、釣具店であったり・・・
そうそう、今では考えられない事ですが当時の丸広百貨店にはデパートでありながら釣り具コーナーがあって、近所の釣具屋では考えられない程ルアー・フライコーナーが充実していたのです。そしてそこには子供達が皆慕う増田さんがいました。
良い意味で子供のあしらいが上手かったのでしょうか。自身も相当マニアだったのかな。釣り場情報やその他釣りに関する質問をすると必ず答えが返ってきました。お兄さん的な存在だったんでしょうね。「趣味と仕事が同じ、こんな仕事に就けたらいいな」と思った少年は他にも沢山いたと思います。
少年達が、キラキラと輝いた道具達の展示されたグラスキャビネットを羨望、溜息で眺めていると「これはいいよねぇー」「これは釣れるよぉー」と優しい笑顔を交えて声掛けられると、釣れる想像は確信へと変わり1ヶ月の小遣いがそれらに変わっていった事はいうまでもありません。
でも、当時の輸入ルアーは1個1200円もする高級品で、亡くしでもしたら1ヶ月はブルーな気持ちを引きずってました。ホッテントットを最初に無くした時は大変なショックで、今だボトムフィッシングに抵抗感があるのは間違いなくこの頃のトラウマです。
ダイワ、シマノ製はその半額位、コーモラン製は更にその半額で、こちらもMADE IN JAPANがコレクションのメインだったな。ダイワのランカーボックスに1つ2つと増えていくルアーを眺めるのも楽しみのひとつでした。友達とルアートレードもよくしてたなぁ。
この後書き込もうと思っているトップウォータ用のルアーもこの頃かなり集めたと思います(自称トップフリークです)
初めて釣ったルアーはダイワのバスジャッカー(トップじゃないじゃん)釣れたのはバスではなく雷魚でした。何がなんだか分からない内にガツンと手応えがあり、ひたすら巻きつづけると蠢く巨体が眼前に!楽しむ余裕も無く岸場へ引き摺り上げ、心臓の鼓動は中々平常に戻らなかった・・・と記憶しています。
じゃ初めて釣ったバスは???こっちはあまり記憶に無いのですが多分やっぱりバスジャッカーだったんじゃないかな?ダイワのルアーは安いしよく動くので実釣用として一番使ってた気がします(ディープダイバーなのでよくロストしたけど)
実は初ヒットはもっと前だったのですが一瞬バイトのみで無味乾燥な記憶しかありません。水面を戻る姿から小型の雷魚だったと思います。ルアーはコーモラン「かえるくん」安くて釣れる頼もしい奴でしたが魅惑的な動きをする足は反面脆く、すぐ切れてしまいます。両足もがれて情けない姿になってしまうとキャスト練習用に使ったりしてました。
さて、ここまで書いて私はダイワ派か?と思われるでしょうがシマノ派です。
リールの変遷は・・・
ミリオネア(ダイワ)→バンタム10SG(シマノ)→ファントムマグサーボSS20(ダイワ)→今だ現役ファースト1のバンタム201SG(シマノ)へと繋がるのですが・・・
マグサーボは当時始めてマグネットブレーキを搭載した最新モデルで、遠心ブレーキを使わない、渦電効果を利用した最新技術は少年にとって文明開化であり、心躍らせるモノとして充分なものでした。お年玉+小遣いを貯めて漸く手にした少年のドキドキ感は今表現すると気恥ずかしい位のものだったと思います。
しかし使い始めてすぐ、マグブレのキャストフィールがしっくりこなくて早々に友人と等価交換していました。こう考えてくるとシマノ派というより遠ブレ派っていう表現が適切ですかね。
あ、バンタム10の思い出を書いてないですけどバンタム10は新品で初めて買ったモデルで流線デザイン・黒ボディともかなり気に入ってたんですよ。フジの黒グリップにマッチしたし。ミリオネアと同じブロンズメタルなんでバックラッシュし難かったし。でもその頃の少年の心理として投げ易さじゃなくて、良く回るボールベアリング入りのリールで軽いルアーをバックラッシュさせずに涼しい顔して投げられる方がカッコ良い!・・・といった自意識過剰な基準があった為です。
そしてなぜ、バンタム201SGなのか・・・
初めて目にしたのは友人が購入したのを見たときです。左ハンドルと独特のタコグチ型パワーハンドルが印象的でした。バンタム100=ウッドハンドルで、今に思えば渋いけど(事実最近コレクションとして購入してるし)その時の少年にとってはそれほど魅力的では無かった(100EXのガンメタボディーは憧れではあったけど)寧ろ硬質ラバーのハンドルが実釣向で潔い。また、左ハンドル仕様は当時稀な(国産初??だったかな?)存在だったしキャストしてから直ぐにコンタクトできるという謳い文句は、例えそんなアタックシーンは稀だとしても「陽気なブラックバスはサイエンスフィッシング」をバイブルとしていた小生、何の迷いも無く真冬でもトップを投げ続ける薄脳の少年にとって羨望以外の何者でもなかったのです。
彼(友人)と同じものを買う事には抵抗があったけど、彼(201SG)は、それに余りある存在感を放っていました。
先ほども記した丸広釣具のキャビネットに展示されている姿を見ては、絶対買ってやる!と日々拝んでいたものです。家の手伝いとかして購入できた時は本当嬉しかったな。釣り行く毎に分解清掃と注油は欠かさなかったですから。今だ現役で使えるのもそのお陰でしょう。
201とはその後様々な場面で共に喜びを分かち合ったけど、これからもその関係は続いていくと思います。日本からバス釣りが締め出されない限り。

・・・今日はここまで。続きはまた後日に・・・